S.I.Mインタビュー vol.3
毛受めんじょうさん (70代)京都府
毛受さんがSailerの一員として奮闘するようになったのは、昨年の4月からだったという。ところが、今回のインタビューが行なわれた3月の中旬の段階で、彼女の会話数は499回にものぼる。 日々の生活にSailを取り入れてから、まだ1年も経っていないのだ。毛受さんがSailのヘビーユーザーであることは、紛れもない事実だろう。 しかし、そんな彼女の選択と取り組みは、けっして思いつきや弾みによるものではなかった。およそ半世紀にわたる毛受さんの歩みに耳を傾ければ、誰もが頷けるような力強いチャレンジだったことがわかるはずだ。
セピア色の時代に落とした忘れ物。
私がまだ20代のころです。大阪のYWCAで夜間に開講されていた日本語教師養成講座に通っていたことがあるんです。「日本語教師」なんていう言葉自体が、まだ認知されていなかった時代でしたが、それでも、私には強く興味を惹かれるプログラムだったんですね。 地元の高校を卒業したあとに東京の大学へ通ったんですが、私の専攻が、日本語や日本文学だったんですね。だけど外国人との接触が多い環境だったこともあり、大学3年のときに「学生文化交流プログラム」に応募して、3ヶ月半ほどヨーロッパをはじめとする海外へ派遣留学させてもらったんです。このときの経験も、今回の私の取り組み方に影響を与えてくれたんだと思います。
でも海外の方たちとの交流を積極的に行なえたのは、20代まででしたね。じつは実家が料理旅館を営んでおりまして、その手伝いに追われる毎日でした。そうこうしているうちに両親が高齢になったもので、いろいろ考えたすえ、介護関係の資格をいくつか取りました。
理由は、ふたつあります。
ひとつは両親が将来的に動けなくなったときの備え、もうひとつは、お年寄りのお客さんがひじょうに多かったことです。つまり何が起きても慌てずに対応できるよう、基本的な知識を身につけようと思ったんです。「ホームヘルパー」(=訪問介護員)、「介護福祉士」(=介護の専門職)、「福祉住環境コーディネーター」(=バリアフリーなどの住環境提案者)……、気がついたらいくつもの資格を取得していました(笑)。
でもこうした資格が役立ったのは、けっきょく両親に対してだけでしたね。ふたりが相次いで寝たきりになったもので、基本的な介護や身の回りの世話だけではなく、自前の食事を毎日のように持って行くなど、大変な日々が何年か続きました。母にいたっては晩年、認知症も患っていたので、コミュニケーションひとつとるのにも苦労を強いられました。ただ、実家が同じ町内のスープの冷めない距離にありましたし、それに私の主人も介護の資格を取得してくれたので、それがおおいに助かりました。
「介護」と「Sail」という、およそ無関係なように思える両者だが、このときの毛受さんの経験が、現在のSailにおける会話で“風”となり、そしてまた“帆”ともなっている。 しかし両親の介護に追われていた当時の彼女には、一日一日を乗り切るのに精一杯だった。すでにセピア色に染まってしまったが、若いころに想い描いていた「外国人とのコミュニケーションを通じて何かを感じたい」という目標は、いつのまにか日常から押し寄せる波間のなかで影を潜めていった。
南極観測船「しらせ」の出航前に集まった家族。多忙をきわめた御主人だったが、一家に対するサポートだけは忘れなかった(1983年)
地域社会で動き始めた“共生”への道。
結婚して一時期だけですが、日本と海外を繋げるプログラムに関わったことがあります。夫が海上自衛隊の自衛官だったので、転勤の連続だったんですよ。そんなときに育児を続けながらも、私なりに何かできることはないかと考え始めて、「ラボ・パーティ」のテューターをすることにしたんです。世界中の名作物語を原語と日本語で表現するという活動で、異年齢の子どもたちが集まって、ひとつの物語を原語で聴くことから始めます。最終的には劇のような形で表現して、言葉というコミュニケーション手段への理解を深めてゆくという活動です。
私にはふたりの息子がおりまして、まだ学校教育で英語を習っていない年齢でしたが、長男はアメリカ、次男はカナダでホームステイを経験させました。「ラボ・パーティ」で多文化交流、多言語交流をしてましたんで、何の抵抗もなく海外での生活を送ることができたようです。先ほどもお話ししたように、もともと私自身がそっちの分野への関心が強かったので、うまく子どもたちを巻き込むことができたんですね。
ラボ・毛受パーティ「世界のわらべ歌で遊ぼう」をむつ市で開催
じつは52歳のときに、私も障害者の仲間のひとりに加わってしまいました。脳梗塞が原因で左半身が不自由になってしまったんです。でも「災い転じて福となす」です。そのおかげで、障害者センターでピアカウンセラーの仕事に就くことができたのですから。
そして昨年の3月末に舞鶴市の「身体障害者福祉センター」を退職しまして、若いころの夢のひとつだった「日本語学習ボランティア」に関わるようになったんです。
退職前の20年の夏に、日本語ボランティアの養成講座を受講しました。こうした活動が地元で展開されていたこと自体、まったく知らなくて、急いで申し込んだんです。で、退職と同時に市のボランティアに登録したわけです。ところが、ここで横槍を入れられたのが、コロナの感染拡大です。蔓延防止のために、活動そのものが自粛されてしまったんですね。
あともうひとつ、外国人とはマンツーマンで話をするんですけど、土曜日の午後1時間半のみなんです。コミュニケーションをする時間があまりにも限られていて、私の考える日本語ボランティアのイメージからは少しズレているような気がしたんです。
そこで支援ボランティアの活動をネットで検索したところ、いろいろなプログラムがたくさん出てきたんですね。これには、意外でした。私がYWCAの夜間に通っていた時代とは大違いですから。そして、そのなかで私の考え方とピタリと合致したのが、Sailだったというわけです。とりわけ後藤代表のお話には頷かされる点が多くて、とくに「経験値」を「経験知」として着目されていた点が新鮮で、とても印象的でした。
2018年暮れの改正入管法の成立で、舞鶴のような地方都市でも定住や就職を目的とする外国人が増加する可能性が高まった。 現在、市の人口の1%にあたる1,000人が外国籍であり、出身は30ヶ国にもおよぶ。そのため、舞鶴市でも「多文化共生社会」のシステム構築が急速に求められていた。外国人があふれる大都市では鈍感になりがちだが、地方都市ならではの敏感な対応だった。そんな折りに退職した毛受さんは、急激な変化を遂げる時代の流れのなかで、忘れかけていた夢を想い起こされたのだった。
国境を越えた熱い会話の数かず。
当初は退職後の生活のリズムがうまくつかめなくて、Sailを利用するのは週に1~2回程度だったんです。でも続けるうちにどんどん気持ちが乗ってきて、今では多いときで午前3回、午後3回なんていう日もあります(笑)。
とくにコロナでボランティアの教室が閉鎖されてからは、Sailの利用頻度がグンと上がるようになりました。もともと何かに熱中すると、すぐにのめり込んでしまう性格なんですよ。
最初は半分、たとえば1日6回利用するとして、そのうちの3回でもマッチングすればいいや程度に考えていたら、幸運なことに全部マッチングしてしまいまして(笑)。私の性格もあるんでしょうけど、いつのまにか自分の生活の一部になってました。やっぱりそれだけの魅力がSailにはあるんだと思います。
でもなかには回線状況が悪くて、なかなかWi-Fiに繋がらないという方もいらっしゃいます。とくにミャンマーとかインドネシアの方たちに多い傾向がありますね。制限時間の25分ぎりぎりまで待っても繋がらない。それでも諦めずに最後まで待っていると、終了直前に駆け込みで現れるという方がいらっしゃいました。
「ごめんなさい。電波が弱くて繋がりにくくて」と謝られましたが、もう時間がありません。こういうときには自己紹介もそこそこに、「どうしても話しておきたいことは何かありますか?」などと、時間を惜しみながら話しかるようにしています。たいしたお話はできませんが、最後まで待ち続けて繋がったときの歓びはひとしおなんですよ。Sailって、使い方によって、いろいろな楽しさがあるんだと思いますね。
「25分」という時間についても、人それぞれ様ざまな御意見があるかと思いますが、決められた時間内でどういうふうに話を組み立てればいいのか、ざっくりとでいいので、全体の構成を考えることが大事です。コツとしては、自己紹介をしているあいだに相手の日本語のレベルや、相手がどういう話題に興味をもってるかを引き出してやることです。時間が限られているからこそ、そういうプランを練りながら話を組み立てるのが楽しみの一つともなりますし、また、やりがいにもなるんですね。
いまさらのようですが、かつて障害者のケアマネージャーをしていたときの経験が、Sailでも役立ってるんだなって思います。ケアマネが初対面の人と面接するときにも、聞き取り時間が限られているからです。その人がどんな性格の持ち主なのか、私たちにどんなサポートを求めようとしているのかなど、その人の全体像を理解したうえでレポートを書くのがケアマネの仕事です。
Sailでも同じなんですね。人間が過去に経験してきたことは、ほかの分野でも決して無駄にはならないんだなって、あらためて考えさせられているところです。
日本最大級の展示スペースを誇る大塚国際美術館への道すがらにて。左足が不自由なため、遠方への旅や、人混みの中で難儀を強いられる
ここで、実際にあった例をいくつか紹介しましょう。
インドネシアの方で、介護の特定技能実習生の人がいました。「じつは明日、面接があるんですよ」って、いきなり切り出されたんです。現地にエージェントのような委託業者があって、彼らの面接で認定されれば派遣先が決まるというような仕組みなんだと思います。「何を訊かれるのかわからないので、Sailを使った模擬面接をしてくれませんか?」という依頼でした。そこで私から、「介護を目指した目的は何ですか?」「どんな介護の仕事に就きたいですか?」などと質問させてもらいました。介護の現場に携わってきた経験が、こんなところでも生かされてるんですね。
それで相手の答え方に少し疑問を感じたら、「日本語では、こういうふうに返した方がいいですよ」などと、私なりのアドバイスを送ってあげるんです。
なかには介護の勉強を始めたばかりで、「認知症」という専門用語を初めて知ったという方もいました。その人から、「認知症患者との関わり方で、何かいいアドバイスはありませんか?」という質問を受けたんです。
そこで母の介護経験から得たお話をさせていただいたほか、私は「キャラバン・メイト」という認知症補佐の講師の資格も持っていたので、専門的な分野にも踏み込んだお話も少しさせていただきました。同じ話を何度も繰り返す患者や、まだご飯を食べてないと何度も訴えてくるような患者たちに、どのように答えたらいいのかという、現場を経験してきた私からのアドバイスですね。コロナ明けに来日して、そのまま施設勤務に入るという方だったので、すごく喜んでくれたのを覚えています。Sailerになる人たちは、私のように退職者が多いんですよ。だけど過去のキャリアのなかで養ってきた知恵を、自分の引き出しの中から一つひとつ提供できるという強みがあるんですね。それらを相手に伝えて、結果的に彼らの参考になればいいなぁと思っています。Helteの後藤代表が強調する「経験知」とは、まさにこういうことなのではないでしょうか。
Sailヘビーユーザーからの提案。
毛受さんが有料のS.I.M Sailerと契約したのは、このプログラムが開設されてまもなくの昨年11月だった。その結果、親しく馴染んできた「喫茶るんるん」からしばらく足が遠のくことになったが、ワンランク上のSailerとしての醍醐味に熱が入るいっぽうだ。 そんななかで工夫し、見つけ出した、彼女なりのSail利用法を開陳してもらった。Sailの愉しみ方に迷うライトユーザーをはじめ、すべてのSailerたちにも貴重なヒントとなるにちがいない。
いろいろな国の、いろいろな方と会話できるだけで満足していたので、S.I.M Sailerの機能を使う必要は、それほどないんじゃないかと思ってたんです。ところが、回線状況の悪い方が連続した日がたまたまありまして、その日の予約でさんざんな目に遭ったんですよ。私は、予約を入れた人の出身地などを考えながら、話の組み立て方を事前に仕込んでおくようにしています。そうして約束の時刻が訪れるまでスマホの前でじっと待つんですが、これには、ちょっとした緊張がともなうものなんです。
ところが一瞬つながったと思ったら、その直後に真っ暗になるということが続いたんです。相手が悪いわけじゃないんだけど、私の側のガッカリ感が膨れ上がってきて、このままだとSailで話すこと自体に消極的になってしまうんじゃないかという不安がよぎったんです。
私には、2種類のSail用ノートがあります。一冊は毎回の会話内容を記録したもの、そしてもう一冊が、予約を入れてくださったのに話す機会に恵まれなかった方たちの記録です。いつ、どんな方から予約があったのか、ひと目でわかるようにメモを残しているんです。たとえば1日に4回の予約があったとします。そのうちの2回は、劣悪な回線状況が原因だったり、私の都合で断ったために初めて話すことになる方、そしてあとの2回が、回線状況が良くて、いつも会話が弾む馴染みの方です。じつは後者のなかには、55回も話してる方がいるんですよ。家族よりも多い会話数です(笑)。
回線状況の悪さが原因ではなく、PCやスマホの具合が悪くて繋がらなかったということもありましたね。その方からは、「ごめんなさい。前回のあと、すぐに修理に出しました」とおっしゃってくださりました。そう言っていただけると、前回のガッカリ感なんて吹き飛んでしまうものです。このように、いろいろな理由で話すことが叶わなかった人がいらっしゃるんですが、たとえば2回も予約を入れてくれたのに話してなかった方については、その次の回で優先するように心がけています。私と話したいと、何回もリクエストしてくれた人の想いには、できるだけ応えようと思ってるんで。
この4月からは、今と同じペースで1日に4~5回は話したいなと気を引き締めています。日本語の勉強をテキストを通じて教えるよりも、彼らとの実際の会話のなかで気づかされることがたくさんあるからです。だから、いくら資格好きの私とはいえ、日本語教師の資格にはあまり興味がありません。むしろSailを使った日々の話題や会話、ボーダーレスな人との接触に愉しみや学びを感じています。
両親の介護や自分の仕事に精一杯だったころは、若者世代の関心事とか、外国から見た日本の姿などについて、あまり真剣に考えたことがなかったんです。そんな私がSailを利用するようになってからは、そういうことにも関心をもつべきなんだなと痛感させられています。日本語とか日本文化について多岐に対応するのは、とても難しいことだと思います。でも、あえてそこにチャレンジすることで、自分自身の学びとしてまちがいなく返ってくるし、私自身をもっと磨けるんだと思います。
最後になりますが、システム上の不具合などが起きたときにHelteへお知らせすると、こちらが恐縮するぐらい丁寧に対応していただいています。去年よりも今年、昨日よりも今日という具合に、少しずつ改良されてるんだなということも実感しています。なのでけっして急がずに、着実に進めていただければいいかなと期待しています。
Sailの累計利用者数は、19,500人になるという。そのうち6,300人が日本人なのだが、毛受さんのSail利用率は日本人全体のトップ30に入るんだそうだ。 なにしろ1年も満たないうちに499回という会話数を記録しているのだから、それもまたむべなるかなだろう。そんな驚きと感想を彼女に伝えると、モニター画面の向こう側からとびっきりの笑顔を返してくれた。「今日の時点で517回になってました!」
(聞き手・ライター 李 春成)
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